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春草堂メルマガ Vol.35(2014年12月配信)
2015.12.07

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・今月の節気と中気:「大雪」と「冬至」
・気になるあの人:高倉健さん
・【期間限定】2015年の年運月運アドバイス 5,000円

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<今月の中気と節気>
 1日遅れでの配信となってしまいましたが、昨日12月7日は二十四節気の「大雪」。算命学では、この日をもって12月(子月)の始まりとします。これから2ヶ月間、子丑天中殺のみなさんは月運転中殺となります。毎度ながら、年末年始の多忙を極める時期での天中殺。心の余裕も失いがちですから、充分に注意してお過ごしください。そして戌亥天中殺のみなさま、月運天中殺お疲れ様でした。大過なくお過ごしになれましたでしょうか?私、大澤は、なんとか無事に天中殺を乗り切ることができました。しかしながら、天中殺の現象には大いに振り回されました。私の場合、今回の天中殺は、本当に驚くほどに予定が思い通り進められないという現象でした。実際どのようなことだったかと言いますと、やるべき仕事があって、そのために日程をわざわざ空けておく、するとその空けてある日に限って、急な頼まれごとが舞い込む。また空けておく、また頼まれる。空けておく、頼まれる・・・。この連続でした。よって、この2ヶ月、ろくすっぽお休みというお休みも取れず、自分のやりたいことも進められず、という結果になってしまいました。しかし、天中殺の時期は「人からの頼まれ事は断るな」といいます。それゆえに、私は自分の予定を崩してでも、すべての頼まれごとに懸命に応えたわけです。この時期の私の心理としては、「天中殺だから、まあ、仕方ないか!」というものです。予定が狂うことで、自分の時間もなくなり、後のスケジュールに皺寄せがくるところもありますが、まあ、どうにかなんとかなるものです。「ま、しょうがない!」と簡単に自分の気持ちを片付けることができるようになれば、天中殺を過ごす上ではとても気が楽です。同じ状況に陥ったとき、「なんで!?」「どうして!?」「もう嫌だ!!」と思うのと、「ま、しょうがない!」と思えるのとでは、精神衛生上に与える影響が大いに異なるだけでなく、頼まれごとを処理するにあたっての取り組み方も異なってきますし、結果的に依頼人に与える印象にも大きな差が出ます。もちろん、「ま、しょうがない!」と割り切ってしまって、気持ちよく取り組んだほうが、自分にとっても、相手にとっても幸いなのです。天中殺の現象はさまざまですが、この急な依頼で予定が思い通りに進まない、という現象はよくある例です。みなさんも同じような状況になったとき、「ま、しょうがない!」と思えるように肚を練っておきましょう。

 さて、今月の節気である「大雪」は、「雪が激しく降り始めるころ」の意味です。関東地方の平野部に住んでおりますと、雪に縁薄く、正直いまいちピンとこないところがあります。しかしながら、今年は12月に入って早々に、例年よりもかなり早く、北国だけでなく四国にまで大雪が降り、ニュースとなっているため、私も「ああ、暦の変わり目だ」と思わされました。暦の上では、先月の「立冬」から冬は始まっておりましたが、体感的にはやはり12月になると「冬」だと思わされます。
 つづく今月の中気には「冬至」が巡ります。冬至は1年の中で最も昼が短く、夜が長い日です。日本では、冬至といえば柚湯に浸かったり、カボチャを食べたりという風習がありますが、世界的に見ると、「冬至=太陽の力の最も弱まる日」と捉え、その忌むべき日を無事に乗り越えたことを祝うという習慣が各地にあり、クリスマスもその起源は冬至祭といわれています。
 ちなみに、日本の風習である柚湯は江戸時代の銭湯から、カボチャを食べるのは明治時代から続いているようです。どちらも風邪を予防したり、中風を予防したり、という効果があるようですが、カボチャに関しては「冬至に『ん』のつく食べ物を食べ無病息災を祈る」という風習があったようです。カボチャに「ん」はつかないよ、と思われるかもしれませんが、昔はついたんです。
 参考までに「冬至の七種(とうじのななくさ)」と呼ばれる、「ん」が「2つ」つく食べ物をご紹介しますと、「蓮根(れんこん)」「人参(にんじん)」「銀杏(ぎんなん)」「金柑(きんかん)」「寒天(かんてん)」「饂飩(うんどん=うどん)」「南瓜(なんきん=かぼちゃ)」の七種です。かぼちゃは1500年代半ばにポルトガル人によってカンボジアの産物として持ち込まれたことから、「カボチャ瓜」と呼ばれたことに由来するそうで、中国の南京経由であったため「ナンキン」とも呼ばれていたようです。一方で「唐茄子(とうなす)」という呼び名もあり、こちらは中国の茄子という意味。江戸落語の演目に「唐茄子屋政談」というものがありますが、上方落語では「南京屋政談」とよばれることから、主に西日本ではナンキン、東日本では唐茄子とよばれていたのかもしれません。そして冬至の七種の風習も、おそらく上方あたりが発祥なのでしょう。
 なにはともあれ、冬の寒さが厳しく、新鮮な野菜も取れない時期、保存が利いた「かぼちゃ」は非常にありがたいものであったに違いありません。今年の冬至は12月22日。お祝い、とまでは行かないまでも、「ん」が2つつく冬至の七種を食べてみるのも良いでしょう。



大雪の七十二候は、
初候 閉塞成冬(そら さむく ふゆとなる) : 天地の気が塞がって冬となる
次候 熊蟄穴(くま あなに こもる) : 熊が冬眠のために穴に隠れる
末候 鱖魚群(さけのうお むらがる) : 鮭が群がり川を上る

冬至の七十二候は
初候 乃東生(なつかれくさ しょうず) : 夏枯草が芽を出す
次候 麋角解(びかく げす) : 大鹿が角を落とす
末候 雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる) : 雪の下で麦が芽を出す





<気になるあの人>
 2014年11月10日に逝去された日本を代表する名優である高倉健さん。冥福を祈りつつ、その命式を紹介させていただきます。


高倉 健 1931年2月16日

  壬 庚 辛       玉堂星 天印星
辰 寅 寅 未   禄存星 禄存星 調舒星
巳 丙 丙 乙   天胡星 龍高星 天胡星

 日干支解釈:壬寅「雪解けの水」


 高倉健さんは、九州の裕福な家庭に生まれ、若い頃からボクシングや英語といったアメリカ文化に影響を受けたことこから、貿易商になるのが夢だったそうです。東京の大学に上京するも、思うような仕事に就けず、一度は地元に帰り家業を手伝った時期もあったとか。再度上京すると学生時代の友人のツテで芸能プロのマネージャーになる面接を受ける。その場に居合わせた映画プロデューサーの目にとまり、スカウトされ芸能の世界に飛び込んだそうです。その後は皆さんもご存知の通り、瞬く間にスターダムを駆け上がっていきました。
 しかし、ただ単にスターであることを良しとした人ではありませんでした。自らの成功のきっかけは仁侠映画でしたが、それがシリーズ化することによって興業的には成功を収めるも、同じようなストーリー展開の繰り返しを続けることにも疑問を持ち、それに熱狂する観客にも疑問を抱いたそうです。それからは、やくざ映画を押し付ける映画会社と袂を分かち、独立し、それまでとはジャンルの異なる芸術性の高い映画に出演するようになっていったわけです。その後は、様々な賞を総ナメし、海外でも高い評価を得、紫綬褒章までも受章するに至ったわけです。
 高倉健さんの様々なエピソードを見ると、浮かんでくるのはその高く高潔なまでのプロ意識。タレントが映画に望むそれとは明らかに異なり、役者=芸術家として作品作りに望んでいたことが分かります。自らが現場を下見に行き、自らが雨に濡れ、自らが寒さに耐えることを厭わない。
 健さんの宿命は、辰巳天中殺が土台です。辰巳天中殺は、家系の流れからは外れ、自分一代の運を築く宿命です。そして、自らが最前線の現場にあって、自らが汗を流すことによってその運気は好転していくのです。非常に現実的な辰巳天中殺の中にあって、「壬寅」の日干支の持ち主は、純粋な芸術家と言われます。表面は大人しそうに見えて、底知れぬ情熱と活力を秘めた運でもありあます。そして、改革者的要素を持ちながらも、内面の性格はあくまでも古典的なのも特徴です。
 そして陽占の星をみても、従星はどれも強い星ではありません。天印星は無意識に他人の人生を変える力を持った星。天胡星は感性の星。東方に調舒星を持っているので、非常に細やかな神経の持ち主であったことが分かります。中央と西方には魅力の星である禄存星がありますが、精神を支える星は南方に改革的な龍高星、北方に伝統的な玉堂星があります。これらの星を支えている従星が、主に天胡星という感性の星ですから、自然、群れるというよりは、独り精神の深淵に座して沈思する、という人間性に近くなります。
 辰巳天中殺は、現場主義で現実的であり、それゆえに大衆的な精神も持っています。おそらく日本の誰もが認める、最高の俳優でありスターでありながら、撮影現場での特別扱いも嫌い、食べるものも一般と同じものを求める。もちろん見えないところでは、スターなりの生活をしているはずではあるけれど、どこか庶民が「自分と同じ人間だ」と自分を投影できる雰囲気も持っている。算命学的に見れば、まさに辰巳天中殺的であり、壬寅の人生です。健さんのような俳優が最高なのかといえば、決してそういう意味ではありません。ですが、健さんが自然のうちに自分の「分」をよく理解し、それを最高な形で活かしていたことには違いありません。算命学的に言えば、宿命どおりに生きた、ということです。欲に流されず、業界の慣習にも捉われず、自分の分を貫き、自分の出来ることをやり続けた。最後までやりつづけた。健さんの出演したどんな傑作の映画よりも、「高倉健」という俳優そのものが、芸術家・高倉健の人生最大で最高の作品であったと私は思います。今回健さんの命式を拝見させていただき、改めて自分の分を知るということの大切さ、それを貫くことの大切さに思い至りました。「自分、不器用ですから」と愚直なまでに自分の分を貫いた健さんを見習い、私も私なりの自分の分を貫き生きていこうと誓いつつ、高倉健さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

※ここでいう「自分の分」とは、自分が全体の一部でありながら、独自のものとして存在するという意味で、只わがままに自分を貫くのではなく、全体の調和を保ちながら、自分らしく生きるというような意味です。

参考
http://www.syunsoudou.com/blog/2014/07/post-39.html