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自然体ということについての考察
2014.05.29

「自然体で生きたい」というのは、誰しもが思うことではないでしょうか。
春草堂では、「自分にとっての自然体とはなにか」ということを追求するための
ある種の学問として、算命学というものを捉えています。


では、自然体とは、いったいどういうものなのか。


辞書で調べると、自然体とは「気負いのない、自然な態度」とあります。
「ああしなければ」「こうしなければ」「こうあるべきだ」というように無理に考えることなく、
あるがままに生きる姿勢というようなことでしょうか。


ちなみに、一般的には「自然」の対義語は、「人工」です。
ですが、どうもこの考え方に私は疑問があります。
自然と人工の対比というものは、どうもキリスト教的価値観、
西洋的論理に感じるからです。

中国を中心とする東洋思想(日本も大きく影響を受けている)においては、
人間もまた自然の一部、と考えるほうが違和感がありません。
特に日本は、古くからの宗教(後に神道の合流する土着的宗教)においても、
「八百万の神」という考えがあり、あらゆるものに神が宿るという考えがあります。
一方の西洋的宗教は、唯一絶対神(God)がいて、その下に「選ばれた」人間がいて、
さらにその下に「人間が支配する」自然がある、という考え方です。
まったくもって無意識下のこととは思いますが、
これは西洋人と東洋人の思考回路に、少なくない影響を及ぼしているに違いありません。

しかしながら、現代の日本は、文明開化で西洋文明に触れて以降、
徐々に西洋的価値観へ傾倒していき、
第二次世界大戦敗戦によるGHQ支配を期にその傾向は一気に加速、
いまでは民主主義・資本主義という大義名分のもと、
かなり西洋的価値観に冒された「人間」がほとんどといえるでしょう。
それが良い・悪いは別として。

「昔は良かった」という馬鹿らしい懐古主義に浸ろうという気分はありませんが、
かつての日本にあった東洋的価値観に基づく良さが現代は失われつつある、
ということは事実として認識するべきでしょう。


話を「自然体」に戻しましょう。


自然界に生息している生き物たちは、みんな自然体で生きているはずです。
自然の摂理にしたがって、自然に身をゆだねて生きているはずです。
現代の人間が、動物と同じように生きろといわれても、
それはまあ、無理な話です。

ですが、生まれたばかりの人間の赤ん坊は、どうでしょうか。
自然でしょうか、不自然でしょうか。あるいは、人工的でしょうか。
生まれたばかりの赤ん坊は、何にも考えず、
ただ肚の底から、すべての力を振り絞って泣くだけです。
だれにそう言われたからでもなく、ただそうあるべきだから、
誰しもが生まれたときに、そのように泣くのです。
人間は生まれながらに、自然なのです。

ですが、人間と動物の違いは、人間には知恵があるということです。
知恵があるからこそ、自然と切り離しても生き抜くことができるようになりましたが、
知恵があるからこそ、自然に生きることを忘れてしまったのです。
成長し、知恵がつくごとに、「自然体」からは徐々に遠ざかってきてしまったわけです。

とはいえ、逆に考えて、知恵を失うことが自然体への近道なのかといえば、
けっしてそういうことにはならないのが、人生の不可解なところです。
そう単純には生かしてもらえないのですね。


自然体という言葉の解決のヒントとして、
東洋思想の大家のひとり老子の言葉に「無為自然」という言葉があります。
「むいしぜん」と読みますから、大自然の自然と同じように考えがちですが、
読み下し文としては「為すこと無く自(おの)ずから然(しか)る」となり、
自然は自然でも別の意味の自然であることが分かります。
つまり意味としては、
「やろうやろうと考えてやるのではなく、思ったとおりやろうぜ」
というような意味となるかと思います。

「意図的に考えて」というのと、「(自然発生的に)思った」というのでは、
同じ行動をするでも、まったく別物というわけです。
「自然体に生きる」の「自然」は、どちらかというとこの「無為自然」的な自然といえるでしょう。

算命学は中国思想の中でも、老子の道教的思想を色濃く受け継いでいます。
ですが、算命学が学問である以上、「意図的に考えて」という事に切り口を求めるしかありません。

ですから、春草堂では、あくまでも
「算命学は自然体に生きるための"ヒント"を得るためのもの」であって、
「自然体で生きるための"術"」にはなりえないものと思うのです。

しかしながら、自然体というものは、ひとそれぞれに異なるものであるゆえに、
それがどういったものなのかを探すための道標が必要であり、
算命学にはその道標足りえるだけのものがある、と私は信じています。

ですが、その道標によって進むべき方角のヒントを得た後は、
いかに生まれたての赤子のような真ッさらな感性と精神にたちかえり、
「自ずから然る」ことができるような心身とそれを保持しえる環境を築けるか、ということが大切なのです。


毎度のことながら、徒然なるままに書いたため、
まとまりのない拙文失礼します。

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